シャンソンというのはフランス語で『歌』という意味です。
なので、どういう歌がシャンソンだという定義はありません。日本では、1960年代までに流行したフランスの歌謡曲全般をシャンソンと呼ぶ場合が多いし、英語圏でも『French Chanson Songs』なんて呼ばれたりするんで、フランス語が母国語じゃない人はやっぱりそこら辺の音楽をシャンソンって呼びます。
それで、このシャンソン。すっごくいいですよ。特に今の時代は、こういうアコースティック楽器と歌声という音楽はほぼないですからね。
ということで、そこら辺の時代のシャンソンの名曲、名録音、歌手を紹介していきます!
甘い響き。フランスの歌謡曲『シャンソン』の名歌手、名曲を 8 曲紹介
Lucienne Boyer – Parlez-Moi d’Amour (1930)/リュシエンヌ・ボワイエ – 愛の賛歌
この曲は日本でも有名です。そう!『紅の豚』の挿入歌として使われました。他にも美輪明宏さんもカバーしてます。
邦題は愛の賛歌、もしくは『聞かせてよ愛の言葉を』です。
歌詞は題名の通りサクランボの実る頃の儚い恋と失恋の悲しみを歌った曲です。
リュシエンヌ・ボワイエの経歴
活動初期は出身地のモンパルナスのナイトクラブで歌っていました。
その後の1927年、米国人プロデューサーで劇場オーナーのLee Shubertに認められ渡米しブロードウェイでの出演を経て、1928年フランスで最初のシングルをリリースしました。
その後南米ツアーなどを経て、1930年、Jean Lenoir作詞・作曲による「聞かせてよ愛の言葉を」をリリースしました。
ジュリエット・グレコ(Juliette Greco) – Parlez-moi d`Amour
同じくフランス人歌手 ジュリエット・グレコ の歌うこの曲も鳥肌です。
美輪さんの日本語でのカバー。これがまたいい。。。
しかし、美輪さん美少年です。
加藤登紀子さんの歌う愛の賛歌
飛ばねぇ豚はただの豚だ。
この紅の豚の中のセリフ。よく勘違いされがちですが、飛べないじゃなくて『飛ばない豚は』です。
Édith Piaf – “La Vie En Rose/ エディット・ピアフ – ばら色の人生 ” (1946)
シャンソンと言ったら『エディット・ピアフ』と言えるほどの歌手です。
彼女はパリのベルヴィル(Belleville)で生まれました。
彼女の人生は波乱に満ちています。簡単に話すと、
- 母親は17歳の時にエディット・ピアフを生んだ。
- 3歳から7歳にかけて彼女は角膜炎で目が見えなかった。
- 両親は貧しく幼いエディットを養う経済的な余裕がなかったため、まもなく母方の祖母の元に短期間預けられた。しかしエディットを忌み嫌い育児放棄。
- ノルマンディーで売春宿を営んでいた自らの母親の元で、早い時期から娼婦やさまざまな売春宿への訪問者と接触をもつ。
- 16歳で御用聞きの少年、ルイ・デュポンと恋に落ちまもなく子供を産む。
- その後、ナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレー(Louis Leplée)によって見出され、彼の店で歌を歌うようになる。
- 父親代わりだったルイ・ルプレーが殺害される。
そして、ピアフの代表曲「ばら色の人生」は第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれました。
壮絶な人生ですね。。。そんな彼女の人生が歌声にも反映して、私たちの心を打つんでしょう。
映画『Belleville Rendez-Vous』
この曲とは関係ないのですが、映画『Belleville Rendez-Vous』って知ってますか?
彼女の出身地が、パリのベルヴィルだと書いて思い出しました。
アニメなんですが、すっごくすっごく面白いアニメで音楽も素晴らしいんです。この曲はエンディングの曲です。大好き。
シャンソンの名曲はまだまだありますが、次の曲を紹介する前にシャンソンが収録されている楽譜を紹介しようと思います。
シャンソンを歌うための曲集
音楽は自分で歌うとまた気持ちがいいものです。
シャンソン・ベスト・コレクション1
30年以上の永きに亘ってロングセラーになっているこの曲集では、コードとメロディーが書いてあるので、ピアノやギターなどに合わせて歌うことが出来ます。
この愛の賛歌や『紅の豚』の主題歌、『桜んぼの実る頃』など、シャンソンの名曲が収録されています。
メロディ・ジョイフル シャンソン名曲全集
この曲は歌いやすいように移調されています。収録曲も99曲とメチャクチャ多い。
まだまだ、シャンソンの名曲を紹介します。